| 広島東分区合同新年礼拝
松永教会
去る1月14日(日)11時より広島東分区合同新年礼拝が松永教会で開催されました。 礼拝説教ははりま平安教会を退職された今井和登牧師でした。出席者は分区内7教会より70名、幼児子ども10名、計80名でした。礼拝の中で乳児から小学生が前に出て「子ども祝福式」が今井牧師の按手によってなされました。
礼拝後しばし茶菓子で歓談の時を持ち散会しました。
説教箇所、説教題及び説教要旨は下記の通りです。
説教要旨 「主の復活と私たちの信仰」 今井 和登 牧師
【聖 書】イザヤ書26:16〜19
第1コリント15:1〜11.
◇私が伝道者になったのは1946年9月であった。牧会の場に54年、隠退して自由な立場で諸教会に仕えるようになって6年、従って60年間伝道者として教会に仕えてきたことになる。隠退というのは自己の終焉が近いということ、そこでこれまで語って来たキリストの福音、即ち永遠の生命を受けるということが、自分にとってどういう意味をもっているかを考えるようになった。信じているつもりであるが、どうもあやふや、ほんとに永遠の生命を受けられるだろうか。ふり返って決してよい牧師であったとは言えない。「口だけ天国、体は灰に、魂は地獄」ということになりはしないか。そんな思いがしばらく続いた。
◇イザヤ書26章を読んでいてその時の気持ちそのままの個所に出会った。ところがそのすぐ後の19節に突如として「復活の希望」が述べられている。衝撃を受けた。「死霊の地に光の露が送られる。」聖霊が注がれて死者が甦るのである。その時私の疑問は氷解した。「これでいいのだ。私も復活に与れるのだ」と。
◇パウロはしばしば「わたしの福音」という言い方をしている(ロマ2:16,
Uテモ2:8他) 。Tコリント15:2では「どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われる。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が無駄になってしまう」と述べている。
◇パウロはこれについて「私自身も受けたこと」と述べ、それは「キリストが‥‥私たちの罪のために死なれたこと、そして葬られたこと‥‥三日目に復活されたことである」と語り、復活された主イエスは「ケファ(=ペトロ)
に現れ、その後12人に現れ‥‥次いで500人以上の兄弟たちに同時に現れ‥‥ヤコブに現れ、その後すべての使徒たちに現れ、そして最後に‥‥わたしにも現れた」と述べている。つまりパウロが宣教する「福音」とは「イエス・キリストの死と復活の告知」であって、彼はこれを復活の主にお目にかかった人から受け、遂には彼自身もまた復活の主に出会ったことを通して、確かなものとされたのである、と述べる。
◇この「コリントの信徒への手紙I」はパウロの著作の中でも初期のもので、紀元53年頃に書かれている。それは新約諸文書の中では最も早く書かれたものの一つ
で、しかも著者、著作年代がはっきりした確かなものである。パウロがこの手紙で「福音」をこのように語っていることは、私たちの信仰理解、救いの達成に極めて重要な意味をもっている。
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