6月のメッセージ「信教の自由は侵されようとしている」

宇佐美睦朗 (神辺教会 伝道師)

 歴代の首相の靖国神社参拝は、中国・韓国等近隣諸国の反発によって中止されていました。小泉首相になってから、自分の支持母体に約束した通り靖国神社参拝を開始しました。批判があると参拝日をずらすなど姑息な方法で参拝を4年間続行してきたのであります。でも、それが原因で、特に、中国との関係が悪化したために、2004年1月に参拝して以来、公的には何の意思表示をしないまま参拝していません。

 靖国神社参拝は、中国や韓国を初め近隣諸国が反対しているから問題なのでしょうか。国家のために心ならずも命を失った方々の慰霊のために参拝するのが何故悪い、と開き直り、それらの国の無理解から問題になっていると、根本問題の論点をすり替えて、他国のせいにしているのです。

 靖国神社問題は、そのレポートを既に各教会にお配りしましたので、大方の理解は得られたと思いますが、靖国神社は、国家神道の保護の下に、大日本帝国憲法(明治憲法)に裏づけされた天皇統治の国家体制(「天皇は神聖にして犯すべからず」を国体の本義と呼んでいます)を維持推進するためにあったことを銘記しなければなりません。

 天皇の軍隊は皇軍であり、戦争はすべて聖戦でした。だから、戦争で死んだ人たちは、国家に殉じたのだから、英霊として靖国神社に祀るのだという論理です。

 愛する父母兄弟を失った家族の悲しみを、靖国に祀られることは名誉だと教え込み、家族から出てくる無念さ不平不満を封じ、国家の戦争責任を回避しているのであります。

 皇軍が戦った聖戦という、その戦跡を辿ってみますと、村山談話が示すように、明らかに侵略戦争であり、残虐の行為は数知れず、聖戦のかけらもないことが窺えます。最近の歴史教育で、先の戦争が侵略戦争であったことを覆い隠そうと、歴史教科書を変えていっていますが、近隣諸国の批判が増大し、日本の信用は、どんどん低下しております。

 近隣諸国は、靖国神社が戦争遂行の精神的支柱であったことを、十分承知しており、靖国神社が、「先の戦争は大東亜戦争である、つまり、アジア解放のための戦争であった」と、自ら公言していることから、日本は、戦争責任など念頭にないことを見破っているからであります。中国は、幾分遠慮して、A級戦犯を合祀しているから靖国神社参拝は容認できないと言っていますが、日本が国家の戦争責任を明確にし、補償すべきは補償して、過去の償いを怠っていることに根本問題があるのです。そのためには、天皇の戦争責任をもしっかり追及しなければならないのです。

 小泉首相の靖国神社参拝違憲訴訟は、全国で七カ所の裁判所に提訴されました。一審の判決は出揃いましたが、首相の靖国神社参拝は公的参拝で違憲であるという判断をしたのは福岡地裁だけで、公的参拝と認めたものの違憲判断をしなかったのが四つの地裁、松山と沖縄地裁は、門前払いでした。その結果、小泉首相は私的参拝と言い換え、参拝は憲法で認められたと主張しています。裁判所が、公的参拝を認めながら違憲判断しないということは、憲法の番人である裁判所が役割を放棄したことになり、憂慮すべき事態であるということが出来ましょう。

 わたしがここまで拘るのは、首相の靖国神社参拝は、憲法20条の「信教の自由」に違反しているからでありますが、この靖国神社参拝が、愛国心を強調することによる個人の自由の制限、表現の自由の制限=実際は権力者の批判を封じること、自衛隊の海外派兵、教育基本法の改悪、憲法改悪、戦争する国へと結びついているからです。そして、イラクに派兵している以上、戦死者の受け皿として靖国神社が必要なのです。

 靖国神社は戦争遂行のためだけに必要な存在であり、戦争放棄を最も重要な理念としている平和憲法とは全く乖離した存在なのであります。

 キリスト教会は、明治以降、国家の戦争推進に協力してきました。敗戦後、当時の指導者たちは、致し方なかった。反発すれば教会は存続できなかったであろう、と語ってきました。本当にそうでしょうか。戦時中は、天皇を神として崇拝を強要され、それに従ってきました。まさに、キリスト教の根本義である十戒の第一項「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない(出エジプト記20章3節)」を捨て去ったのであります。今、靖国神社がクローズアップされていますが、靖国神社に対して国家が後押しをして、信教の自由が犯されようとしていることを思えば、看過できない問題ではないでしょうか。

 今の権力者は大変巧妙です。戦時中の治安維持法のようにあからさまな弾圧とか強権で縛るようなことはしませんが、いつの間にか自由な表現が出来なくなり、気づいたときは手遅れということになりかねません。

 わたしどもが政治に直接関与する必要はないと思いますが、追い込まれて悲鳴を上げるのではなく、しっかりとイエスはイエス、ノーはノーと言えるようにならなければなりません。

 敗戦後60年の間で、わたしは今がキリスト教会の最大のピンチだと思っています。だから、機会を逃さず声を上げねばならないのではないでしょうか。



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