10月のメッセージ 「善悪を知る木」 創世記2章15〜17節、3章1〜7節、22〜23節

鳥居 司(福山東教会牧師)

2:15 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。16 主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。17 ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」…(略)…
3:1 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
2 女は蛇に答えた。
「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。3 でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
4 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。5 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
6 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。7 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。…(略)…
22 主なる神は言われた。
「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
23主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。

 若い頃、教会に通うようになってたくさんの良いことを経験しました。でも、ひとつだけ気になっていたことがありました。それは「人生の全ての問題に答を見つけているような信者さんの澄ました態度」だったのです。私も若くて、どんな人もその人なりの苦しみを噛み締めていることなどに、気づくこともなかったのですが、それでも、教会には分かってもいないのに、分かった振りをしていなければならない様な「窮屈さ」が漂っていたのは、まんざら間違えではなかったような気がします。
 「善悪を知る木の実を食べてはならない」と言う神様の命令(忠告?)に背き、その実を食べてしまったアダムとイブを楽園から追放した話についても、長いあいだ分からなくて悩んでいました。教科書どおりのかしこまった説明ではなくて、心に響く解き証しが欲しかったのです。そして先日やっと「そうだったのか」と、うなずける証しに出会うことができました。
 「善悪を知る木の実とは、倫理的道徳的の善悪ではなくて、自分の欲望や欲求を中心に、物事の良し悪しを決めてしまうエゴイズムの実のことです。そして、その実を食べるとは、自分に幸せをもたらしてくれるものを善とし、そうでないものを悪とする態度に味をしめてしまう事なのです」
食べてしまうとは「味をしめてしまう」ことだなんて、すごく納得してしまいました。
分かった振りなどせず持ち続けていた疑問に響いてきた証しは、難解な神学書ではなく、何気ない一冊の本の中に隠れていたのでした。



United Church of Christ in Japan
福山延広教会、福山東教会、松永教会、尾道久保教会、三原教会、神辺教会、尾道吉和伝道所
Copyright(c) 2005 日本キリスト教団 西中国教区 広島東分区. All Rights Reserved.