12月のメッセージ 「クリスマスに招かれた人々」


石塚 一(福山延広教会牧師)

 12月に入ると、街はクリスマス一色に染まります。そして、テレビに目をやれば、外国の有名な広場やホテル、さらにはホワイトハウスの飾り付けなどが話題にされ、高価な服装で着飾った豊かで幸せそうな人々がそれを楽しむ姿が映し出されます。
 でも、最初のクリスマスの晩には、つまりイエスがお生まれになった馬小屋では、どんなクリスマスが祝われたのでしょう。そこには、どのような人々が招かれたのでしょう。
 ルカ福音書には、羊飼いたちがお祝いに訪れたと記され、マタイ福音書には、星占い師たちだったと、描かれています。羊飼いというのは、金持ちたちから預かった羊を、昼夜を問わず世話する仕事で、ユダヤの最下層の人々でした。そして、星占い師というのは、ユダヤ人が蔑んでいた外国人で、しかもその仕事は、何故か律法によって犯罪のように決め付けられておりました。
 いずれにしても、現代のテレビで紹介されるようなクリスマスパーティーだったなら、決して招かれることはなかったであろう、そういう人々〜例えば日雇いの建設作業員だとか、外国人労働者だとか、ホームレスだとか〜そういう人々こそが、最初のクリスマスの招待客だったのです。
その理由を聖母マリアは、受胎告知に対する神への感謝の讃美歌(マニフィカート)の中で、このように説明しています。
 「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返される。」(ルカによる福音書1章51節以下)
 そこには、権力者の側にではなく抑圧された者の側に立たれる神、豊かな者の側にではなく貧しい者の側に立たれる神への讃美が歌われています。そして、やがて生まれてくる嬰児イエスは、神のそうしたみ心を実現するためにこの世界においでになるのだ、と聖母マリアは歌ったのでした。
 そうだとすれば、少しおかしな言い方かもしれませんが、クリスマスを本当に祝える者の一人になるためには、私たちも自分の身の置き所に注意する必要があるのではないでしょうか。いや身の置き所はそうそう自由になるものではないとしても、せめて心の置き所ぐらいは、どこに置くべきかを考えてみる必要がありそうです。
 今までは自分の楽しみだとか幸福だとかばかりで、ほとんど関心を寄せてこなかった「神のみ心」に心を向けてみたいと思います。例えば、戦争被害の癒えぬアフガニスタンやイラクの人々のことに、災害の傷の癒えぬインドネシアやパキスタンの人々のことに、そして、抑圧下で飢えに苦しむ北朝鮮や、この国の不況の影響を最も被っている人々のことについてです。
 そして、その人々やその事柄のために、どんなに小さくてもいいから、何か重荷を分かち合うための活動や行動に加わってみましょう。戦争反対の署名活動でも、募金でも、ホームレスへの炊き出しでも、何でもいいでしょう。私たち、一介のサラリーマンでも、主婦でも、学生でも、若者でも、老人でも、誰にでも出来そうなことが一つぐらいはあるはずです。それを見つけ出して、一つでも実行したら、どうでしょうか。
 そうすればきっと私たちも、また、あの馬小屋でのクリスマスの招待客の一人に加わることが出来るのではないでしょうか。嬰児イエスがお生まれになったその場所で、心からその誕生をお祝いすることができるに違いありません。



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