1月のメッセージ 「クリスマスに思ったこと」

宇佐美 睦朗(神辺教会牧師)

 クリスマスは、主イエスの降誕日として祝っていますが、聖書には、12月25日に降誕したという記事はありません。年度については、明確ではありませんが、皇帝アウグストゥスから人口調査をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた(ルカ2章1〜2節)歴史的事実から、イエス降誕の年度はある程度特定できます。
 12月25日は、当時世界を支配していたローマの宗教ミトラス教が、ローマの暦で、12月25日を不滅の太陽の誕生日として祝っていたものを、キリスト教会では、イエス・キリストこそが、真の義の太陽(マラキ書3章20節)であるとして、この日を主の降誕日として4世紀から始まったと言われています。
 子どもの誕生は、どこの家庭でも祝福に満たされ、喜びの声を上げます。しかし、イエスは、誕生を祝う人もなく、飼い葉桶の中に寝かされました。救い主になられる方が、宮殿の絹の布団のなかではなく、貧しい飼い葉桶の中に寝かされたのであります。木製の長方形の飼い葉桶はアッシジのフランチェスコが最初に作ったとされています。
 ベツレヘムに行ったとき、イエスの降誕を記念して教会が建てられていますが、飼い葉桶は、石造りでした。周辺に木など生えていない土地柄ですから、石造りの飼い葉桶であったのでありましょう。そうすると、まさに、最も惨めな状態で生まれたことになります。そこからイエスは十字架への道を歩まれるわけであります。「貧しい馬小屋から 苦しみの十字架へ」(讃美歌21・257番3節)「すべてのものを あたえしすえ、死のほかなにもむくいられで」(讃美歌21・280番3節)なのです。
 わたしどもはクリスマスツリーを飾ります。その時、赤いリボンやリンゴをつけますが、これは、十字架の血を象徴し、キリストを賜ったほどに世を愛された(ヨハネ3章16節)神の愛を表現しているのであります。
 神は、わたしたちの罪を贖うためにキリストを十字架にかけられたと理解をしていますが、贖いはその人に変わって代価を払って買い戻す事ですから、神が御子を犠牲にするという痛みを担われたことをしっかりと受け止めねばなりません。そこに深い神の愛があるのです。
 このクリスマスを契機に、神の愛の伝達者としてのわたしたちの役割をしっかり認識して、立ち働かねばと思う昨今です。


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