2月のメッセージ「人を汚すもの」

宇佐美 節子(神辺教会牧師)

マルコによる福音書 7章14〜23節
 14 それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。15 外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」16 (†底本に節が欠落 異本訳)聞く耳のある者は聞きなさい。17 イエスが群衆と別れて家に入られると、弟子たちはこのたとえについて尋ねた。18 イエスは言われた。「あなたがたも、そんなに物分かりが悪いのか。すべて外から人の体に入るものは、人を汚すことができないことが分からないのか。19 それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される。こうして、すべての食べ物は清められる。」20 更に、次のように言われた。「人から出て来るものこそ、人を汚す。21 中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、22 姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、23 これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」

 主イエスは、群衆に「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい」と、呼びかけます。それは、「よく耳を傾けて、そして心でそれを受け取るように」と、いうことであります。続く15節で「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出てくるものが人を汚すのである」と、語ります。悪しきものは、神が創造された自然の世界の中にあるのではなくて、人間自身の内部にあるということであります。人の心の中にある悪い思いが、他人を苦しめ、傷つけ、害するというのであります。
 信仰を持って生きるということは、わたしたちが何か立派に生きることでも、人からほめられるような人間になることでもありません。見えないところにいます神に出会い、神の前に立ち、神に向かって生きることであります。それにもかかわらず、なんとわたしたちは人間の目を気にして生きているでしょうか。わたしたちはもう一度、自分自身に向かって、わたしたちは一体誰に向かって生きているのかを問わなければなりません。そして、人間の心を探り、思いを試みられる神に視線を向けて生きることを求めなくてはならないと思います。
  人間を損なうものは、外にあるのではなく、自分自身の中にあることに注目すべきです。わたしたちは、自分の中から出てくる思いと言葉と行為によって他の人を傷つけるだけでなく、自らをも粗末にするのであります。人間の尊厳が自らの罪のために、全く惨めなものになってしまうのであります。
 ここでは、汚れているかどうかは、儀式的律法を守るかどうかよりも、その人の心が何を考え、何を行おうとしているかによって決まると示されています。わたしたちは信仰によって、物事の本質を捉えそのように生きることが求められています。わたしたちは、今一度、イエス・キリストによって新たにつくりかえられることを、祈り求めつつ、その歩みを続けたいと思います。



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