5月のメッセージ「どんなことも」

鳥居 司(福山東教会牧師)

マルコによる福音書3章20節〜27節

20 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。21 身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。22 エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。23 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。24 国が内輪で争えば、その国は成り立たない。25 家が内輪で争えば、その家は成り立たない。26 同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。27 また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。

 世の中のものは全て変わってゆきます。流れてゆきます。そのことを知りつつ、いまのままでありたいと望む心が、苦しみを生み出すのです。その苦しみを、抱え込んでしまって、時の流れに逆らって立ち続けると、苦しみが「苦痛」となってゆくのです。でも、世の全てのものが流れてゆく、変わって行くことで全てが「生きている」ことが分かるのです。動かないものは死んでいます。生きているものは全て、動き変化しているのです。そして、生きていることは「神の支配」を意味しているのです。

 今日の聖書の話も、イエス様によって示された「意外な出来事」に当惑する、人々が描かれています。親戚の者たちは、自分たちの中から思いもよらなかった「魔術師」が出たと勘違いし、自分たちの思いの中にイエス様を引き戻そうとします。エルサレムから来たパリサイ人たちは、中央の役人の理解を超えることが起こっていては、人々を従わせることができないと、イエス様を悪魔に取り付かれたものとして断罪し切り捨てようとします。

 人の思いを越えた出来事に出会ったときの、人々の反応は一様に「無かったこと」にしようとする。そして、不安な気持ちを抑え、もとの平坦な日々を続けようと一生懸命になります。

 しかし、どんなことも神の支配の中にあります。それは生きているのです。生きているものは、変化し流れてゆくのです。人の思いをはるかに越えて、全てのものが生きてくるのです。神の前には、意味なきものも意味あるものへと生かされてゆくのです。かつて意味なきものと人々に捨てられた出来事さえも、神の前には生きるのです。

 全てのものが流れている、神に支配されている私たちの日々は生まれ死んで行く。それは信仰の常なることなのです。変わり行くことは悲しむことではなく、神の支配を実感する出来事なのです。



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