10月のメッセージ 喜んで与える人を神は愛してくださる

沖村 裕史(三原教会牧師)

コリントの信徒への手紙二 9章 6節〜15節

 つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。「彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く」と書いてあるとおりです。種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。あなたがたはすべてのことに富む者とされて惜しまず施すようになり、その施しは、わたしたちを通じて神に対する感謝の念を引き出します。なぜなら、この奉仕の働きは、聖なる者たちの不足しているものを補うばかりでなく、神に対する多くの感謝を通してますます盛んになるからです。この奉仕の業が実際に行われた結果として、彼らは、あなたがたがキリストの福音を従順に公言していること、また、自分たちや他のすべての人々に惜しまず施しを分けてくれることで、神をほめたたえます。更に、彼らはあなたがたに与えられた神のこの上なくすばらしい恵みを見て、あなたがたを慕い、あなたがたのために祈るのです。言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します。

 今朝のパウロの言葉を読んで、わたしは、あまりにも有名な一人の修道女の映画を思い出さないわけにはいきません。その修道女とは、皆さんよくご存知のマザー・テレサです。裕福な子女の集まる修道院の学校で教師をしていた彼女は、貧しく、見捨てられた人々のために仕えることこそ神の愛に応えることだと信じ、教師を辞め、カルカッタのスラム街で奉仕活動を始めようとします。すると、その修道院の院長は、あなたはこの学校にはなくてはならない人で、ここにこそあなたに与えられた使命がある、そんなところで活動することは危険だし、有力な保護者から恥ずかしい行いだと反対の声があがっている、だいたい活動するために必要な資金も人もいないのだから、あなた一人の奉仕が一体何の足しになるのか、そう説得します。先ほどお話をした、種を撒くことは何の役にも立ないこと、空しく愚かな行いで、損失でさえあるという言い方そのものです。院長の説得に抗ったテレサは、ボンベイの修道院に左遷されることになります。ボンベイに向かう列車に乗るために駅にやって来たテレサでしたが、彼女はそこで、啓示とも言うべき決定的な出来事を体験します。たくさんの人がごった返す駅の構内に、やせ衰えて、ぼろぼろの服を着ている一人の年老いた男が地べたに横たわって、手で宙を掴むようにしながら苦しみもがいています。テレサは、その男に眼を釘付けにされたように、じっと見つめます。テレサは近寄ります。いいえ、導かれるようにして傍らにひざをつき、その男のうめくようなその声を聞きます。男は消え入るような声で、「I thirsty.」「わたしは渇く」とつぶやきました。その瞬間、そこには二人しかいません。テレサは衝撃を受け、水をその口に注ぎますが、男は死んでしまいます。ボンベイへ向かわず、戻ってきたテレサに怒りをあらわにする院長。しかし、テレサはただ黙って礼拝堂へと向かいます。その正面には、十字架の上にかけられたイエス・キリストの像が置かれています。そこには、次のような言葉が書かれていました、「I’m thirsty.」「わたしは渇いている」。そうあの男の苦しみ、うめくその声でした。この後、テレサは貧しく、見捨てられた人々へのまさに献身的な奉仕の業を、天に召されるその直前まで続けます。
 テレサは、彼女の奉仕活動を危ぶみ、いぶかり、反対する人々に対して、マタイ福音書25章40節以下の「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」という主のみ言葉とあの男のつぶやきを重ね合わせるようにして、「わたしは、この貧しい人々に主イエスを見る」と語り、そして「わたしがこの人々へ奉仕することを神が求めておられるなら、すべてを備えてくださる」と繰り返し祈りました。テレサの言葉はまさに、「惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。…種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます」という、パウロの言葉そのままではないでしょうか。
 三原教会は、今年で創立107年目を迎えました。小さな群れの教会ですが、地域の人々、特に小さなこどもたちのいのちとその育ちを見守るために、教会学校から始まった幼稚園・保育所の働きをずっと大切にしてまいりました。この保育所の働きも75年が過ぎました。そして今年、わたしたち教会と保育所は、新しい会堂と新しい園舎を建築するという大きな事業を進めています。この建築は、わたしたち教会・保育所の規模からすれば、大きすぎる計画、まさに「幻」でした。しかし、それが神の導きにより、今、実現をしようとしています。三原教会が掲げる聖句「すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」という主イエスのみ言葉は、そのようなディアコニアとしてのわたしたちの働きを象徴するものとなりました。9月24日、創立記念日を迎えたわたしたちは、自分たちが小さく、弱いものであることを危ぶむ、のではなく、むしろ、すべて「あなたのみこころのままに」と主を信頼し、主に導かれ、主に励まされ、主に促されつつ、そして、助けを必要とする人々と同じになられた主イエスの、そのみ後に続くものとなりたいと願います。



United Church of Christ in Japan
福山延広教会、福山東教会、松永教会、尾道久保教会、三原教会、神辺教会、尾道吉和伝道所
Copyright(c) 2005 日本キリスト教団 西中国教区 広島東分区. All Rights Reserved.