1月のメッセージ「新しく生きる」
吉仲 將 (松永教会牧師)
旧年が明けて元旦を迎えると、訳もなく何処でも誰でも「新年おめでとう」と挨拶します。もし「ちっともおめでたくない」というとヘソ曲がりと言われるでしょう。正月を祝うのは東洋人だけかも知れません。
しかしよく考えると何がおめでたいのか判らなくなります。
「元旦や、冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」という狂歌もあります。わたしの子ども時代(半世紀ほど前)には「一年の計は元旦にあり」という諺がいきていました。最近は聞かれません。
人はみんな新しいものを欲しているのです。
そこで聖書を三ヶ所読むことにします。
(1) 二千年も前にギリシャのアテネにアレオパゴスという哲学者が集る場所があり、そこで使徒パウロが説教した記事が、使徒言行録17章にあります(新約聖書248ページ)。
そこに集っていたアテネの人々=当時の知識人は、日々新しいことを聞いたり話したりして時を過ごしていました。パウロが新しい教えを説いているというので、彼の話を聞きたいとそこに連れてきたのです。パウロは「イエスと復活についての福音」を語りました。説得力のある整った説教でした。その内容については、聖書を直接読んでみてください。しかし残念ながら彼らは満足できないで、あざ笑って去っていきました。それは一般の人々が求めている「新しさ」とは違っていたのです。
人の知識や経験は次々に変わります。古い過去の知識や経験になっていくものです。しかしキリスト教の「新しさ」は決して変わらないものです。
(2) そのことを別な聖書箇所から見てみましょう。それはヨハネ福音書3章です(新約聖書167ページ)。
ここはイエスと当時ユダヤの最高法院の議員だったニコデモとの対話です。夜イエスの教えを求めて来ましたが、イエスは「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言いました。ニコデモは理解できないので、「もう一度母親の胎内に入って生まれることですか」と問いまし た。少しユーモアを感じますが、ずばりその通りです。「新しい」とは、人が死んでもう一度誕生するようなことなのです。一度死なないと始まりません。そして誕生は全く新しい出来事で、繰返されるものではありません。一回限りです。一度死んで新しく生きる、「死期回生」の出来事です。
新約聖書の原語はギリシャ語ですが、「新しく」は「上から」と同じ意味の言葉です。人の考えや経験という地平を下からとするなら、遥かに越えたところが上からです。 つまり絶対的な世界を指します。イエスはこれを「神の霊の働き」だとニコデモに伝えています。神の霊が人を新しく生かすのです。これを「新生」と言います。
キリスト教会には洗礼式(バプテスマ)がありますが、これは「わたしはキリストの十字架と共に死に、キリストの復活と共に生きる」という告白式です。
すべてのキリスト者は、この告白をして洗礼を受けています。この日を第二の誕生日として祝います。
(3) コリント第二の手紙5章17節(新約聖書331ページ)にはこう書かれています。「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」
あなたも、すぐに古くなってしまうような新しさではなく、神の霊によって与えられる新しさに日々生きる者になってください。
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