2月のメッセージ「聞くこと」
宇佐美 睦朗(神辺教会牧師)
ローマの信徒への手紙10章17節
実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。
キリスト教は、言葉の宗教と言われています。プロテスタント教会が、教師の語る説教が中心になっているからでありましょう。
ヘブライ語で、言葉をデバリーム(語るは、ダーバル)と言います。デバリームは、出来事の意味をも持っています。言葉が事を起こすことからです。
神の言葉を取り次ぐ者として、教師の責任は重大ですが、限られた能力で、神の言葉の重さに呻吟しています。最近、語る前に聞くことの重要性を痛感しています。よく聞かねば語れないと思うようになりました。最近聞いた言葉で目を開かれたのは、普遍的価値観と絶対的座標軸という言葉です。使徒信条に公同の教会という項目があります。「公同の」は、「普遍的」という意味です。だから、普遍的価値観は、特定の人たちだけに通じる価値観ではなく、大方の人が納得できる価値観です。
絶対的座標軸は、「真理」に置き換えることが出来ると思います。ヘブライ語で真理を、エメトと言います。アルファベットで、最初の文字とまん中の文字と最後の文字を組み合わせて出来た言葉で、最初からあり、真ん中を貫き、最後まであるものという意味が込められているそうです。
時代の流れや、思想に左右されない絶対的なものです。これを語られた方は、日本人は、この思想を持ち合わせていないという指摘でした。
最近は、ITばやりで、バーチャル(幻想)の世界にのめり込んでいる人が多いと指摘があります。バーチャルの世界では言葉・対話は必要なく、対象を思い通り動かすことが出来ます。そのことにより、一歩外に出ても、現実との区別が付かなくなって、信じられないような事態を引き起こしていると、分析していました。
また、自販機、スーパでの買い物にしても、言葉は必要なく、一日中誰とも言葉を交わさない人がいると聞いています。クイズ番組で、文字が読めない、意味が分からない解答者(主としてテレビ・タレント)の多いことに驚きます。このように、言葉・対話の喪失が人間生活を殺伐なものにしていることを気づいているでしょうか。
会合で、われわれの使命は伝道にあり、社会問題や政治問題は教会になじまない、と声を大にして語る方がいます。教会といえども社会の一員でありますし、政治の動向によって教会が振り回されてきた歴史を見ても、なじまないという一言で棲み分けることが出来るものでしょうか。
神の言葉は、人間の生の全領域に向けて語られました。なじまないと言って棲み分けることは、神の言葉を割り引いて聞いていることにならないでしょうか。言葉・対話を喪失している現代、監視社会に移行しつつある不信に満ちた社会。その中にあって、貧富の隔差拡大や老人福祉切り捨てによるうめき声に耳をふさいで、どのようにして伝道できるのでしょうか。
日野原重明先生が、テレビの対談番組で三つのVを語られました。
第一はVision(幻)、第二がVenture(行動する勇気)、第三がVictory(達成感)です。キリスト者は、Visionは持ってもVentureに欠けているのではないでしょうか。
言葉・対話を喪失した社会にあっても、語らなければならない重責を思います。たとえ、敗北を重ねても語り続けねばならない使命があるのではないでしょうか。言葉が事を起こすことを信じて。
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