7月のメッセージ「分断に乗らないようにしよう」
宇佐美睦朗(神辺教会牧師)
ローマの信徒への手紙12章2節
「あなたがたは、この世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」
日本においてキリスト者は人口の1%だといわれています。この数値は、不思議なことに、明治時代にどっと信徒が増えた後も、キリスト者は1%前後で推移しているようです。
戦争の激しい時期、召集・戦死等で急激に信徒数は減少しましたが、1945(昭和20)年敗戦後徐々に回復し、1950年頃までは毎年1万人を越える受洗者が出ました。でも、1%と言う数値は殆ど変わっていないということです。
日本にプロテスタント教会が誕生したのは1872(明治5)年です。以来135年経過しました。幾多の変遷を経て、わたしたちは日本キリスト教団の一員として信仰生活を続けています。
プロテスタント教会誕生以来、民心とどう折り合いをつけるか腐心しました。何故なら、1873(明治6)年キリシタン禁制の高札は降ろされたものの、キリスト者はいつも白眼視され、迫害を受けてきたからです。その迫害を避けるために戦うよりは妥協を重ねてきました。1889(明治22)年、大日本帝国憲法(明治憲法)により、条件付の信教の自由が認められました。キリスト教会は大喜びしましたが、公認の条件…国家の安寧秩序を妨げない限り…がどういうものか理解していませんでした。
政治権力と対峙した一部のキリスト者(植村正久、柏木義円、内村鑑三など)はいましたが、大勢は政治権力に妥協してきました。1931(昭和6)年〜1945(昭和20)年の所謂15年戦争の中で、日本キリスト教団の指導者が、政府の手先となって、朝鮮(今の北朝鮮・韓国)に迄行って、宮城(すなわち、天皇)遙拝、神社参拝を指導したのであります。
政府に限らず、経営者など力を持つ者は、抵抗勢力を弱めるために分断を試みます。戦後の労働運動の推移を見るとよく分かります。総評華やかなりし頃は、政府の施策さえストップさせるほどの力がありました。でも、国鉄民営化が実施されたあとは総評の組織は分断され、日本の労働運動は、壊滅状態に陥りました。今の労働組合は、組織率も低く、労働者の権利を守り切れていないのが実情であります。その上に、横の連携は分断されて力のないものにされてしまいました。
キリスト教会の中にも分断の風が吹いていることにお気づきでしょうか。
教会で、憲法改正反対の決議をしようとしたとき、真っ先に反対の声が出ました。我々の使命は伝道にあり、そのような決議は必要ない、関わらなくともよいという考えです。伝道と言う言葉は戦前の言葉を借りれば、錦の御旗です。伝道に反対する者は誰もいません。
憲法改正に反対することが伝道になっていることが理解されていないようです。憲法改正に反対することこそ伝道なのであります。
福音は人の生の全領域に亘って語られているのです。この部分は社会問題だから、この部分は政治問題だから、と自分の思考から排除するということは、福音を割引して、あるいは、間引いて聞いていることになるのではないでしょうか。
ここで、憲法改正反対を決議しようとしているとき、反対の声を挙げるのは、分断をねらう体制側に与することになりはしないか心配です。キリスト教会は憲法改正反対の声を挙げているが、内部は纏まっていないではないかと足許を見られて、折角の主張も無視されてしまいかねません。
確かに主イエスは、政治活動は行いませんでした。しかし、当時のユダヤの指導者層にはつねに批判の目を向けていました。また、熱心党のシモンをも弟子に受け入れていました。
山上の説教の八つの至福の中に、義に餓え渇人々は幸いであるとか、平和を実現する人々は幸いである、とこの世に倣わない生き方をここで示しているのです。エゼキエル書3章16節「わたしはあなたを、 イスラエルの見張りとする」という記事があります。キリスト者は見張りの役目を与えられているのです。続けて18節b「悪人が悪の道から離れて命を得るように諭さないなら、悪人は自分の罪のゆえに死ぬが、彼の死の責任をあなたに問う」と記載されているように、キリスト者の見張りとしての責任は重いのです。
戦前・戦中のキリスト者の過ちを繰り返すことなく、危殆に瀕している世に、正義を行うよう警告していかねばなりません。
わたしは伝道に専念するが、あなたは今の社会の矛盾に警告を発してくださいとエールを送り、キリスト教会が一つになってこの世に対峙しなければならないのです。キリスト者は世に責任があることを自覚して歩もうではありませんか。
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